鳥の歌 (ボリビア映画)
鳥の歌 | |
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Para recibir el canto de los pájaros | |
監督 | ホルヘ・サンヒネス |
脚本 | ホルヘ・サンヒネス |
製作 | ベアトリス・パラシオス |
出演者 | ジェラルディン・チャップリン[1] |
上映時間 | 104分[2] |
製作国 | ボリビアボリビア |
言語 |
スペイン語 ケチュア語 |
鳥の歌(とりのうた、原題:Para recibir el canto de los pájaros)は、1995年に製作されたボリビア映画である[2]。監督はボリビア人のホルヘ・サンヒネス。サンヒネスの映画を日本で上映会を開いていた太田昌国らが制作費の援助を行い、共同制作の形をとっている[3]。日本では1999年11月22日に公開[2]。2000年12月にシネマ下北沢で、同じくサンヒネス監督作品の『地下の民』と同時ロードショー[4]。
あらすじ
[編集]あるボリビアの映画撮影チームが、16世紀にアンデスやってきたスペイン人遠征隊を批判的に捉える映画を企画した。撮影場所として都会から遠く離れた山奥の村の村長に約束をとりつけた。取材のために村へと入ってゆくのだが、撮影チームの振る舞いは村人たちの強い反発を招き、石を投げつけられて「村から出て行け」と罵声を浴びることになった。映画撮影チームは、スペインからやってきたコンキスタドールたちの行動を批判的に撮影しようとしていたのだが、無自覚のうちに自分たちが村人に対して同じ振る舞いをしており、コンキスタドールと同じ偏見と同じ欠点をもっていることを露呈したのであった・・・。
作品の背景
[編集]ホルヘ・サンヒネスが1969年に製作した映画『コンドルの血』で撮影ロケ地として訪れたボリビアの農村で、実際に起こった出来事を元にしている[5]。
また映画では、先進国による薬の特許の問題についても描かれている[6]。先進国の製薬メーカーが特許をとると、薬草として使っていた植物の採取が自由にできなくなる問題である[6]。
出演
[編集]フランス人女性で1968年のパリ5月革命に挫折してボリビアにやってきて[7]、その後アンデスの村の伝統的な薬草師と結婚して暮らしているカトリーナの役として、ジェラルディン・チャップリンが出演している[1][注釈 1]。ジェラルディン・チャップリンは撮影のため、1992年11月にボリビアを訪れた[1]。撮影後の記者会見に応じたジェラルディン・チャップリンは「ホルヘ・サンヒネスの映画に出演するのは長年の夢であった。(中略)『鳥の歌』に出演できたということは、世界でももっとも偉大な監督と仕事を共にしたことを意味していると思う」と語った[1]。
作品の影響
[編集]イシアル・ボジャイン監督の2011年のスペイン映画作品である『雨さえも』は、ボリビア国内の知識人から『鳥の歌』の盗作ではないかと指摘された[8][注釈 2]。
受賞
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ジェラルディン・チャップリンは映画黎明期において「喜劇王」と呼ばれ世界的名声を博したチャールズ・チャップリンの娘である
- ^ 『雨さえも』は、2000年にボリビアのコチャバンバで発生したコチャバンバ水紛争を描いた映画である
出典
[編集]- ^ a b c d e アンデスで先住民の映画を撮る (2000, pp. 145)
- ^ a b c アンデスで先住民の映画を撮る (2000, pp. 303)
- ^ アンデスで先住民の映画を撮る (2000, pp. 287)
- ^ ユリイカ2000年12月号 (2000, pp. 247)
- ^ アンデスで先住民の映画を撮る (2000, pp. 305)
- ^ a b 情況 第三期2004年5月号 (2004, pp. 151)
- ^ アンデスで先住民の映画を撮る (2000, pp. 288)
- ^ 兒島、映画はボリビアの「水戦争」をいかに語るのか (2012, pp. 92)
参考文献
[編集]- 太田昌国 編『アンデスで先住民の映画を撮る』現代企画室、2000年。ISBN 978-477380012-8。
- 東 琢磨(編)「ウカマウ集団の軌跡と現在」『ユリイカ』第32巻第15号、青土社、2000年12月、ISSN 1342-5641。
- 太田昌国、平沢剛「革命映画の現在--キューバ映画祭とウカマウ集団をめぐって」『情況 第三期』第5巻第5号、情況出版、2004年5月、138-153頁、NAID 40006167286。
- 兒島峰「映画はボリビアの『水戦争』をいかに語るのか」『神奈川大学人文学会』第178巻、神奈川大学人文学会、2012年、81-129頁、NAID 120005345931。